迷走しながら歌うのだ

スピリチュアルな世界と音楽が大好き。占星術好きで1人好き。自分を迷走しながら歌を歌う。

こんな始まり

小学生5年の時のピアノの発表会の話。

 

両親は数ヵ月前に自宅1Fで飲食店を始めたばかりで毎日バタバタと大忙し。

「発表会の服を買ってきなさい」と

発表会の1週間ぐらい前に数千円のお金を渡された。

服にもおしゃれにも興味が無いわたしだけど、まぁ発表会だし、とお金を受け取り1人で買いに行き、それっぽいワンピースを買った。

 

そのピアノの発表会は市内のピアノ教室合同で、1000人ほど収容可能なホールでの大規模な発表会だった。

発表会当日、そのワンピースを着て、1人でバスに乗って会場の市民会館へ。

見に来た家族と車で会場に到着する子ばかりの中で、1人で会場入りして、ピアノの先生に指示された順番待ちのパイプ椅子に座る。

 

順番待ちしてる間にも、ザワザワとした会場の雰囲気を感じながら

 

「今この会場にいる人たちの中に、

わたしの演奏を見たいと思ってる人は1人もいないんだ…」

 

そう感じながら本番を待ってた。

 

実際、自分の子供の演奏が終わると、子供と合流する為に客席を立つ人たちで客席は常にバタバタと入れ替わっていた。

 

自分の演奏の順番が来る。

ずっとこの日の為に練習してきた緊張はある。でも

「このたくさんの人の中に、わたしの演奏を見たいと思ってる人は1人もいないんだ…」

っていう冷めた現実を感じてる自分もいた。

 

簡単な言葉でそれを表すなら

「寂し過ぎて悲し過ぎて

心臓をギューッと締め付けられてる感じ」

 

演奏を終わった後の達成感も感じられず、

先生に挨拶をして会場を出る。

 

ホントならまた1人バスに乗って帰るところだけど、

そんな気分になれなかった。

 

しばらく歩きたい。って思った。

 

30分ぐらいかけて家までとぼとぼ歩いて帰った…。

 

そんな小学5年の発表会だった。

 

 

 

そんなわたしの思い出は、大人になってからも何かのきっかけで思い出す度に、

リアルに何回でも心臓がギューッと痛かった。

 

ここ1年ぐらいでやっと変化があった。

 

その時の、発表会での演奏を終えた小学5年のわたしを、今の大人のわたしが「良かったよー!」ってギューッって抱きしめてあげるイメージをした。

子供の頃のわたしが「もういいよ~」って照れるほど褒めて抱きしめてあげた。

「よし!美味しいもの食べに行こう!何が食べたい?」

子供のわたしが、本当はあの時してほしかった事を全部してあげた。

 

 

あんなに思い出す度リアルに心臓が痛かったのが、無くなった。

過去は変えられなくても、過去に染み付いた感情は変えられるんだって思えた。